最近の日記には、「〇〇さんが△△をしてくれて嬉しかった」というような内容が多いです。
仲間のために汗を流してくれる人が多いのでしょう。
本当にありがたい人ばかりです。
そういう日記を読むと、心がほっこりします。
そして、仲間のために動ける人がいる喜びを感じると同時に、仲間の優しさに気づく人がいる幸せを感じます。
私は、仲間のために働く人同様、仲間の優しさに気づける人は、すごくすてきな人だなと思っています。
なぜなら、
仲間の優しさや勇気に気づける人は仲間のために汗を流している人
だからです。
「えっ?仲間の優しさに気づくだけで、仲間のために動いているって言えるの?」と思うかもしれません。
しかし、仲間のために動いている人しか、仲間の優しさに気づけません。
働くことの大変さや苦労などを知らなければ、感謝することはできないからです。
例えば、体育祭1つとってもそうです。
体育祭は、多くの人の手によってつくられる行事です。
生徒会や委員会、団長、選手、後輩、先生など、多くの人の努力や苦労の上に体育祭は成り立ちます。
生徒会の人は、土日の間も働いています。
行事をつくるとういことは、多くの時間を使うから土日も集まらなければなりません。
しかし、そのことに感謝できる人は少ないです。
なぜなら、土日に働いていることに気がつかないからです。
それとも、土日で働く苦労を想像することができないからです。
行事を「0」から作り上げた人にしか、多くの時間を費やさなければいけないことは、わからないです。
自分の時間を学校のために使った経験がある人にしか、その苦労を共感することはできません。
また、体育大会では、体育部の先生は朝、5時に来て準備をします。
きっと、多くの人が知らないことでしょう。
知っていたとしても、体育部の先生方の苦労や責任は、なかなか感じられないものでしょう。
朝、5時から起きて、誰かのために働いた経験がある人にしか、そのありがたさはわかりません。
つまり、
仲間の優しさに気づける = 仲間のために汗を流した経験がある
ということですね。
だから、仲間の優しさに気づける人は、本当にすごいなと感じられるのです。
掃除を頑張っている人。
仲間のためにプリントを配る人。
リーダーから出された宿題を家で真面目に考える人。
勇気を出して発言した人。
落ちているゴミを拾う人。
など、一つ一つの大変さや苦労、思いを知らない限り、心の底から感謝することはできません。
仲間のために働いた経験があるからこそ、仲間の優しさに気づくことができるんですね。